赤ちゃんの「全部わかる」から卒業した日

長女を産んだばかりの頃、私は子どもの泣き声ひとつでその理由が分かる気がしていました。

こんなに一緒にいるんだから、この子の全部が分かるはず。
いえ、分かっていなきゃいけない——そう思っていたんです。

でも今振り返ると、あの頃の私は少し苦しそうでした。

目次

誰にも触らせたくなかった、長女の子育て

長女が生まれてすぐの数ヶ月、私はホルモンに全部やられていたなと思います///
まるでメルゴリラのよう。笑

誰かが子どものことをやろうものなら、なんだかケチをつけたくなる。
「私は子どものことをやるから、他のことを手伝って」と旦那さんにイライラしてみたり。

子どもと2人でいる時間はすごく楽しくて、愛おしくてたまらないのに、周りには敵向きになってしまう。
そんな自分がいました。

だからこそ、子どものことは私が全部わかっていないといけない、わかっているはずだ——そう思い込んでいたんですよね。

こんなに長い時間一緒に過ごしているんだから、泣き声の違いで「なんで泣いているのか」が分かった気がする。
実際に分かっていることもあったと思います。

でも、子どもは自分の分身ではないんです。

親子ではある。血もつながっている。
けれど、子どもには子どもの人格があって、人生がある。

別の人間なんです。

だから全部を分かるわけがないのに、私は分かろうとして、苦しくなっていました。

次女の子育てで気づいた「分からなくていい」

次女が生まれたとき、私はふと気づきました。

次女が泣くタイミングや、表情の変化が、なんだかちょっと理解できなかったんです。

今、次女は小学2年生になりましたが、やっぱり少し心が繊細で、私とは違うタイミングで人の言葉に傷ついたり、逆にすごく楽しそうにしていたりします。

波長みたいなところは、人だから、合う合わない、分かる分からないっていうのはあるんだなと。

次女が生まれたとき、私はこの子と一緒にずっといるけれど、私はこの子が思っていることを全て分身のように理解できない——そう、いい意味で諦めた部分があります。

それと同時に、長女への対応も変わりました。

「私がこう思ったから、あなたもそう思ってるでしょ」みたいな前提で、長女に接してきてしまったなという反省がとてもあります。

次女のおかげで、「親は子どもの全部を分からなきゃいけない」という価値観が、ひとつ解放されたように思います。

子どもは必ず、親から離れていく

赤ちゃんの頃は、自分から離れていくなんて全然想像できませんでした。

でも子どもが小学校高学年に近づいたり、習い事をするようになると、親があまり干渉しない中で別のコミュニティに入り、自分で判断して行動することが増えていきます。

保育園の頃は、保育士さんたちが見守りの量を多くしてくれるので、比較的安心がありました。

でも小学校になって、友達と遊んだり習い事をし始めたりすると、親のテリトリーから離れて、子ども自身が自分で判断して決めていく場面が増えてきたなと感じています。

そのとき、もし「子どもの思っていることを自分が全部分かっている」なんて思っていたら、不安で不安でしょうがなかったと思うんです。

別のコミュニティで、子どもがどんなことを考えて、どんなことをしているのか。
今まで自分が結構コントロールしていたはずなのに、それができなくなる。

子どもは必ず離れていって、子どもの判断で選び取っていくことを、親として信頼しないといけない——そう思います。

子どもが自分で気づけるヒントを渡す

何でもこちらが先回りして、「あなたはこっちの方が合っているよ」「この後こうなるから、今はこの選択をした方がいいんじゃない?」と、子どもに判断を委ねないことをずっと続けてしまったら・・・。

結局、子どもが親から離れていったときに困っちゃうと思うんですね。
子どもは困るし、自分もすごく不安になっちゃうはずです。

これはうちの子育てで大事にしていることなんですが、親がいる環境であっても、自分でどうしたいのかを考える。

今泣けているのは、どんなことがあって泣けているのか。
どんな感情で涙が出ているのか。

それを親が全部理解する必要はないかもしれないし、全てに寄り添う必要もないと思います。

でも、子ども自身がそれに気づけるヒントを渡す親でありたいなと思っています。

根掘り葉掘り聞くとか、誘導尋問をするというのとはちょっと違うかなと思うんですが、それでも子どもがなぜ泣けちゃっているのか、どうやったら気持ちが切り替わるのかを、お手伝いするぐらいの声かけができたらいいんじゃないかなと。

そんなふうに感じています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次